自分を好きになりたい

私は夜になるといつもいつも悶々としてしまう。

自分は恵まれているとは思う。きっとこんな悩みは他の人から見たらちっぽけなものでもっともっと辛い思いをしている人なんて沢山いるだろうしこれから先もどんどん更に辛いことに直面していくのだろう。

そんなことは自分でも十分分かっている。くだらない悩みだと思う。だからまた自分が嫌になる。今までの自分のアイデンティティは周りより勉強ができる、というところにあってでも東大に入ってしまえばそんな個性はないに等しい。周りは勉強ができる人しかいないのだから。すごく自分が無価値な人間に見える。自分で選んだ道なのに一浪までさせてもらって入ったのに贅沢悩みだ本当に。自分の選択で今この状況にいるわけでそのことに関して私が文句を言うのは筋違いなことで本当に自分はばかだ。周りの同級生のTwitterとかを見ているとすごく余裕そうに見えて、もちろん全員が全員同じ授業をとっているわけでは無いけれど課題や減らないタスクにヒイヒイ言っているのは自分だけのように思われて自分のダメさが身に染みてしまう。真面目だけが取り柄で周囲にはいつもそれを評価してもらってきた。だから程よい手の抜き方が分からない。相談してもそんなの適当にやればいいんだよ考えすぎ、と言われるけれど程よく適当にの意味が分からない。理解ができない。自分のキャパを考えずに色々安請け合いして結局またパンクしかかっている、中高時代から進歩していない。本当に死にたいわけじゃないけど死にたいと口にしてしまうしそれが今はある意味ストレスの発散になっている感じがする。軽々しく言う言葉じゃないよね本当に。

文章にするとなんだか落ち着いてきた。明日はいい日になる気がする。

大学受験をふりかえる② はじまりの中学受験

私は中学受験をした。

きっかけは小さい頃に救命病棟24時(正確な題名忘れました)を見た私が「私も進藤先生みたいになりたい!」と言ったこと。母はそれを聞いて医者になりたいなら中学受験!と思いたったらしい。私は今文系だが、その選択をとってくれた母には感謝しかない。

小学生の私は何かをやらされば人並み以上には出来る子だったと思う。ピアノに英会話、日本舞踊に水泳に書道、テニスなど色々な習い事をさせてもらった。色々な賞をもらったし、学校ではピアノ伴奏をいつも頼まれていた。のでもちろん中学受験でも頑張った。

大手中学受験専門塾には特待生としてタダで通った。O蔭専門コースの1番上のクラスに在籍し、タダで通ってたにも関わらず結果は不合格。第1志望ではなかったが、今までお世話になった先生に申し訳なくて、期待してくれた両親に申し訳なくて消えたかった。

当時、私が在籍していたクラスは合格率100%を誇っていたためより一層申し訳なくて小学生ながらに死にたいと思った。今でも思い出すと涙が出る(笑)

代わりに入った中学も世間では進学校とよばれる女子校である。中学受験の失敗を教訓に誰にも負けないように勉強しようと覚悟して入学したのだった。あのときから東大を考えていたと思う。お世話になった塾の先生に顔向けできるようになるには東大に行くしかない、と思っていた。

大学受験をふりかえる① 〜introduction〜

自分はいわゆる東大女子というやつである。

 

自粛続きでキャンパスにも行けず特に大学生らしいことはしていないが、忘れないうちに受験期を振り返っておこうと思う。

 

今年はコロナで受験生は大変だ。受験制度も変わるし、、、、、

 

2020年の入試で東大に拾ってもらえたことに感謝したい。